洞寺




洞寺と書いてテラと読みます。
以下案内板より

「洞寺の伝説」
この洞寺は、今から200年ほど前、雲水和尚という僧侶が渡島してこの洞寺で読経ざんまいに過ごすうちに亡くなり、つくられたものとされ、頭の化石が今も祭られている。

伝説によると、雲水和尚は那覇の寺に在職中、他の寺の僧と問答を行い、雲水は仏の功徳によっては、水面を下駄ばきで歩行することができるとの議論になった。問答は「首を切る」かけにまで発展、二人は実行することになった。

雲水が呪文を唱えて水面に立ち、水鳥が水面に浮かぶ様に徐行しはじめたので、他の僧は驚き、法力で彼の法術を破ろうと呪文を唱えだした。しばらくは読経の声が続いたが、奥武山が近づいた時、法術が破れたか、片足を水に突っ込み濡らしてしまい、かけには負けてしまった。

しかし、奥武山まであと一歩というところまで来たことで、首切りは許され粟国島への流刑となった。雲水は洞くつをみつけ、そこでくらすうち、周辺の農民や青年を相手に遊びや話を通じて親しくなった。今でも和尚と親しくなった畑主の子孫らが洞くつ参りとして旧正、九月には主として拝むようになっている。

粟国村史より



門をくぐり、林の中を進むと、洞窟の入口があります。
当時は当然こういう歩道は無かったと思いますので、雲水和尚はこの洞窟を、こんな森の中で、よく見つけたなと思います。島中を探して探して探しまくるか、それとも、島へ流された後、あちこちを点々とした後にここを探し当てたか、地元の人に教えてもらったか、そんなところではないでしょうか。




洞窟は鍾乳洞になっています。また洞内には遊歩道と、ところどころに、歩いていくとセンサーにより点灯するライトアップ設備があります。




洞内は真夏でもヒンヤリしていて気持ちよく、また、水も確保できそうですので、住めそうではありますが、実際住むとなると、食糧確保など、かなりのサバイバル生活を強いられると思います。



一番奥にシーサーみたいな鍾乳石があります。

案内板には、雲水和尚の頭の化石がまつられてると書かれていましたが、どこにまつられているのかは判りませんでした。洞内にいくつか祠がありますので、その内のどれかなのかもしれません。





 
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