尚円王御庭公園




琉球王統第二尚氏の始祖、尚円王の生まれた場所と言われる、「みほそ所」と一体となって整備されている尚円王御庭(うなー)公園です。伊是名村の象徴的な場所でもある為か、手が入れられて、美しく整備されています。




尚円王金丸の像です。




金丸だの尚円だの、名前がややこしいんで、ここで整理しておきたいと思います。伊是名の有名な史跡は大抵この人が絡んでますから。

思徳金(うみとくがね)
尚円の幼名。どこからどこまでが苗字でどっからが名前なのかはわかりません。この名前はあまり出てきません。1415年、ここ伊是名村諸見の百姓の家に生まれたそうです。
北の松金(にしのまつかね)
北なのにニシとは、単に昔は「北」を「ニシ」といっていたからです。同様に「東」は「アガリ」、「西」は「イリ」、「南」は「サウス」といっていたそうです。一つは嘘です。「南」は「フェー」だそうです。
で、その、北にいる松金さんという事らしいです。長いだの競走馬の名前みたいだのと思われる方は、単に「松金」という名称だけでも良いと思います。この名前は成人してからの呼び名らしいです。
金丸
松金さんのもう一つの呼称です。こちらの方がよく知られています。この名前の高級泡盛が、伊是名酒造所で造られています。
尚円
琉球王統第二尚氏の始祖です。王に即位してからこの名称を使用しています。
尚円王が即位した1470年より始まる第二尚氏琉球王統は、その後、俗に言う「琉球処分」が行われ、沖縄県が設置される1879年まで約400年間続きます。

という事で、一介の百姓だった松金さんが国王に即位するまでのお話は、こちらをお読み下さい。
★尚円王伝説(伊是名村ホームページより)
http://www.rik.ne.jp/izena/story/story2.htm#尚円王伝説
要するに、仕事も出来て女にモテモテの松金さんが、それを妬んだ島の青年たちに殺されかけたりしたので、仕方なく島を逃げ出して沖縄本島に渡り、紆余曲折を経て琉球国王になると、島の人たちの態度はガラッと変わり、我らが誇りの国王様、となって現在に至る、という訳ですね。




 
 
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